2010/08/15

終戦の日

特に英語を勉強したかったわけでもなく、海外での生活に憧れていたわけでもない。
アメリカでの歯科医療、最新の歯科技工に興味はあったが、それ以外は特に。
恥ずかしい話、ロサンゼルスがカリフォルニアにあることも知らなかったし、
「ナイストゥーミーチュー」と挨拶すらろくに出来ず、恥ずかしい思いもした。
そんな私がアメリカで10年近く生活をしている。
言葉の問題もそうだが、習慣や文化の違い。
食生活や医療制度、交通事情や治安など何かと気苦労は多い。
慣れ親しんだ日本の生活とはやはり違う。

歯科技工士としてはもちろんだが、
海外での生活は自分の生まれ育った日本という国を再認識させ、
違う角度から見つめさせる。長い歴史や固有の文化、伝統。
日本という国をあまりにも知らない自分に、改めて気付かされた。
海外で生活してみてよかったと思える、一つの理由だ。

日本に一時帰国の際には、立ち寄りたいと思っている場所がある。
靖国神社。落ち着いた時間が取れず、いまだ参拝することができずにいる。

ロサンゼルスはさまざまな国の人々が集まり、違った文化や思想に触れる機会も多い。
どこの国の人も例外なく母国を愛し自分のルーツに誇りを持っている。
差別や争いがないとは言えない異国の地でも、心の拠り所は確かにある。
愛国心という言葉に抵抗を感じる人も多い、しかし外に出たら分かる。
街を歩けばあちらこちらでアメリカの国旗を目にする。
国を愛するということはその国で生きる国民にとって当たり前の教育。
日本の街中が同じ数だけ日の丸で溢れていたら、異様な感じがするのだろう。
私たちが受けた敗戦国としての偏った教育だ。


政治家がどんなに賢く偉いのか、外交や政策について私はよくわからない。
しかし、専門学校卒の私でも分かることがある。
敗戦国も戦勝国もない、兵士であろうと民間人であろうと。
戦争で亡くなられた方たち一人一人の命の重さは、皆同じだ。
それは、のちに戦犯とされてしまう人たちでさえ。

日本の未来のために、尊い命を捧げた人がいた。

戦争に駆り出された多くの兵士が直面するのは、生か、死か。
過去のどこかで歯車が狂っていたなら、私の存在はなかったことになる。
日本という国自体が存在していなかった可能性だってあった。
多くの犠牲が礎となり、今の平和な日本がある。
追悼の念を込め、今を生かされていることに私は心から感謝をしたい。

国家の運営に直接関わる人間が他国に配慮し、参拝を見送った。
首相をはじめ全閣僚が足並みを揃え、一人叩かれるのを恐れるかのように。
自国の英霊に配慮もせず、先人、先達を敬う心は今の政治家にはないのだろうか。
いったいこの国はどこへ向かおうとしているのか。

靖国に眠る多くの戦没者たちは今の日本に何を思うのだろう。
今を生きる私たちは未来の日本という国のために何ができるのだろうか。

日本人として。