今まで幾度となく岐路に立たされてきた。
そして、その度に選択を迫られ、何かしらの決断をする。
自ら決断できればまだしも、悩んでいるといつの間にか見えなくなる岐路もあった。
良いのか悪いのか、自分の思いとは裏腹に勝手に前へと進んでしまう事も。
思えば高2の頃、私も一応予備校には通っていた。とは言っても大学に行く気はない。
親には申し訳ないが自習室で論文の勉強だと決め込み、
ふだん読み慣れない小説なんかを、ちまちま読んで時間を潰していた。
当時流行っていたシドニー・シェルダン。内容など覚えてもいない。
漫画じゃないだけいいようなもんで、なんの勉強になっていたのか。
とにかく、これといってやりたい事も見つからないし、自分に出来る事もわからない。
グルグルとさまよい、なんとなく時間だけが過ぎる。ただその時だけを見て。
あの頃を無駄だとは言わないが、もったいない時間の過ごし方をしていたと思う。
歯科技工士という仕事を知り、おそらく人生で最大の選択をした。
専門学校で学び、社会人として働いた。働きながら研修コースに参加もし、
留学することを決め学生に戻った。自分を試したくてアメリカで就職した。
そして開業。自分のやりたいことがここなら形になるような気がした。
少なくとも当時の日本よりは理想へ。そして、今はまだその途中。
乗り越えられない壁にぶつかり、上手くいかないこともあった。
自らが分かっていないという事さえも分からない。未熟故、そして今も。
その間、その時々で様々な出逢いがあった。お世話になった人達が沢山いた。
自分より何歩も先、あるいは遥か彼方を歩いておられるその人達。
私には初めてでもその人たちにとっては、すでに歩んできた道。
何度も助けられ、励まされ、尻をたたかれ、気が付けば沢山の人に支えられてきた。
そしてそういう周りの人たちが、いつでも自分の憧れであり目標でもあった。
少しでも近づけるように...まだまだだ。
右に行くのか、左に行くのか。
毎日が無意識に選択をしている、その先に何があるのかは誰も知らない。
ただ言える事は、あこがれや目標、あるいは夢。
とにかく自分のなりたいもの、やりたいこと、進むべき先があるということ。
こんな30代、40代、50代 ...なんでもいい。
それを思い描けたなら、岐路で迷うことも少ない。右に行こうが、左に行こうが。
進むべき道、一見遠回りに見えても向かうべきところは決まっているのだから。
それでももし岐路に立ち悩んだなら、迷わず困難な方へ進むべきだ。
そこで悩んでいるのはもったいない。どうしても無理なら楽な方へ行けばいい。
ただ前だけを見て。
そしたらいつか、自分の後ろを歩いてくる人に気づくかもしれない。
手を差し伸べる余裕があったらでいい。自分がしてもらえたことをしてあげよう。