2010/06/19

右に行くのか 左に行くのか

今まで幾度となく岐路に立たされてきた。
そして、その度に選択を迫られ、何かしらの決断をする。
自ら決断できればまだしも、悩んでいるといつの間にか見えなくなる岐路もあった。
良いのか悪いのか、自分の思いとは裏腹に勝手に前へと進んでしまう事も。

思えば高2の頃、私も一応予備校には通っていた。とは言っても大学に行く気はない。
親には申し訳ないが自習室で論文の勉強だと決め込み、
ふだん読み慣れない小説なんかを、ちまちま読んで時間を潰していた。
当時流行っていたシドニー・シェルダン。内容など覚えてもいない。
漫画じゃないだけいいようなもんで、なんの勉強になっていたのか。
とにかく、これといってやりたい事も見つからないし、自分に出来る事もわからない。
グルグルとさまよい、なんとなく時間だけが過ぎる。ただその時だけを見て。
あの頃を無駄だとは言わないが、もったいない時間の過ごし方をしていたと思う。

歯科技工士という仕事を知り、おそらく人生で最大の選択をした。

専門学校で学び、社会人として働いた。働きながら研修コースに参加もし、
留学することを決め学生に戻った。自分を試したくてアメリカで就職した。
そして開業。自分のやりたいことがここなら形になるような気がした。
少なくとも当時の日本よりは理想へ。そして、今はまだその途中。
乗り越えられない壁にぶつかり、上手くいかないこともあった。
自らが分かっていないという事さえも分からない。未熟故、そして今も。

その間、その時々で様々な出逢いがあった。お世話になった人達が沢山いた。
自分より何歩も先、あるいは遥か彼方を歩いておられるその人達。
私には初めてでもその人たちにとっては、すでに歩んできた道。
何度も助けられ、励まされ、尻をたたかれ、気が付けば沢山の人に支えられてきた。
そしてそういう周りの人たちが、いつでも自分の憧れであり目標でもあった。

少しでも近づけるように...まだまだだ。

右に行くのか、左に行くのか。
毎日が無意識に選択をしている、その先に何があるのかは誰も知らない。
ただ言える事は、あこがれや目標、あるいは夢。
とにかく自分のなりたいもの、やりたいこと、進むべき先があるということ。
こんな30代、40代、50代 ...なんでもいい。
それを思い描けたなら、岐路で迷うことも少ない。右に行こうが、左に行こうが。
進むべき道、一見遠回りに見えても向かうべきところは決まっているのだから。
それでももし岐路に立ち悩んだなら、迷わず困難な方へ進むべきだ。
そこで悩んでいるのはもったいない。どうしても無理なら楽な方へ行けばいい。

ただ前だけを見て。

そしたらいつか、自分の後ろを歩いてくる人に気づくかもしれない。
手を差し伸べる余裕があったらでいい。自分がしてもらえたことをしてあげよう。