2010/09/27

送別

アメリカ生活も長くなると、帰国を決めた人を見送ることはよくある。
その存在が近ければ近い程、心に大きな穴が空く。
見送る側にとっては、その瞬間からまたいつもの日常に引き戻されるわけだが、

そこにいたはずの人がいない。

見送られる側は、その瞬間からただの思い出に変わるのだろうか。
新しい環境に慣れることに必死で、寂しい思いすら感じないかもしれない。

今までどれだけの人を見送ってきただろう。
悲しいことに、その寂しさにもだいぶ慣れてしまった。
昔話を語り合える仲間も減った。自分の送別会などもう想像も付かない。

また一人、ロサンゼルスを去る。
年下のくせに私のことを“君”付けで呼ぶ、そんな失礼な彼との付き合いは長い。
いい思い出ばかりではないが、 ロサンゼルスで出会い、同じ時期を過ごした仲間。
人懐っこさやなんだか憎めないそのキャラは、私が持ち合わせていない部分。
羨ましくも思え、会う度に考えさせられる。

熱く夢を語り合ったり、くだらない話で盛り上がったり。
今でこそ、毎晩のように飲みに繰り出し、朝方まで騒いだりはしなくなったが。
そんな二十代の頃がついこのあいだのように思える。

お疲れさま。また飲もう。

2010/09/17

学生時代
















#7 Custom Abutment  for Cement-Retain Restoration     Type Ⅲ Gold
3i CERTAIN UCLA Gold Hexed Abutment 4.1mm

たまに、『ブログ見てます!』とメールをいただいたりします。
本当に嬉しく思っております。ありがとうございます。

取り留めのない内容で不定期更新、
かなり偏った情報を発信させていただいております。
私自身がそういう偏った人間なのでしょう。全く共感できない方もいると思います。
文章で伝えられることには限界もありますし、
私もまだ未熟ゆえに誤解されるような表現も多いことと思います。
偉そうなことはあまり言えませんが、とりあえず目標の一年も残り数ヶ月。
相変わらずでいきますが、これからもよろしくお願い致します。

先日、日本の歯科技工学校の生徒さんからメールがありました。
アドバイスを頂けたらということです。感心させられます。
私は学生の頃そのように勤勉でもなく、どちらかというと何も考えていませんでした。
まともなアドバイスができるとは思えませんが、
せっかくなんで学生の頃の出来事も交えつつ、記事にさせていただきました。

学生時代どのような事を心がけていましたか?

私の場合、一年目を終える頃、ほぼ留年が決まっていました。
そんな学生時代に、心がけなんてものはありません。
実技はそんなに悪くはなかったのですが、問題は学科と生活態度。
当時の担任に教室の隅に呼ばれ、二年に上がるのは難しいことを告げられました。
執拗に懇願する私に出されたのは交換条件。無遅刻、無欠席、無早退。
そして、咬合器と模型は常にきれいに取り扱うこと。
『やれるなら、校長には俺からお願いしてやる。』と一言。男と男の約束。

二年時の一年間は、とにかくこれだけは頑張っていたような気がします。
やれてる人にしてみればたいしたことはないのでしょう。
しかし、私にとっては一年時の悪癖もありましたから、結構苦労したのを覚えています。
そして、何がどう功を奏したのか、少なくとも私の中で何かが変わったようです。
実習中の効率は上がり、期限に遅れることが少なくなりました。
成績も下から片手で数えられたのが、上から片手で数えられるまでになっていました。

2010/09/13

丸10年

















#14 PFM Crown     Creation CC

先日、9月10日は私が初めてアメリカの大地に降り立った日。

と、なんだか大げさに言ってみましたが、丸10年が経ちました。
意外にあっけなくその日は過ぎ、そして11年目に突入。

思い描いてた未来は今よりもっと良い状態だと疑いもしなかった。
アメリカから端を発したこの不景気。私にとっては全くの計算外でした。
医療関係は不景気にも影響されにくいと言われていますが、
最近はなんだか身近にも感じ、正直不安でもあります。

ちょうどその記念すべき日を迎えようしていた先週末、
ある女性のドクターが突然うちのラボを訪れてきた。
どこかで会ったことがあるらしいが、私はまったく覚えていない。
単冠のPFM2本のケースを持参し、このケースをお願いしたいとのことだった。
初めての取引きなので、いくつかの技術的な事を確認し合い、
また、デザインやマテリアルについても話をした。
一通り話を終え、彼女は聞いてきた。

『このケースいくらで出来る?簡単な見積もりが欲しい』と。

そして、徐にリストを見せられた。そこにはこの界隈にある日系歯科技工所の名が。
老舗のラボから有名なラボ、まだまだ順番に回る予定らしい。
要するに気に入らなければ次ぎに行くと言わんばかりの強気な交渉術。
彼女が日本人の歯科技工士をとても気に入っているのは話の流れでよく分かった。
今、取引している日系歯科技工所の名前もいくつか口に出していた。
オーナーは私の知り合いでもある。もちろん、技工料金については知らない。
うちのプライスリストをプリントし、彼女に手渡した。
しばらく眺め、何も言わず他所の歯科技工所のプライスリストを彼女はずらりと並べた。
6枚以上あっただろうか、上は$150前後から下は$60ドル前後まで。

『他所のアメリカのラボはどこもこんな感じよ。平均的だと思う。
日本人の技工士が他所より高いのは理解してる。ただ、知っているとは思うけど、
私たち歯科医院もビジネスは大変なの、いい値段を出してほしい。
このケースはあなたとのはじめてのケースになるのだから』と。

2010/09/04

昨日のこと。
いつもお世話になっているドクターから電話があった。

デリバリーされたクラウンについて、私が作ったのかと確認の電話だった。
もちろん私が作ったのだが、彼にはそう思えなかったらしい。
何がいつもと違うのか。強いて言うと透明感が足りなかったか... 。
いずれにしても、紛れもなく私が作ったものだ。
私自身、そんな電話がかかってくることに驚いていた。

週明けには戻ってくる。患者の口の中で試適されることも無く。
アポイントはキャンセルされたのだろう。申し訳ない。

電話のあと、そのケースのことが気になって仕方がなかった。
ドクターが言っていた。『うちにくる患者はいいものに高いお金を払っているんだ』と。
完全にそのものを否定された。

その言葉が、頭から離れない。
久しぶりに凹んだ。手を抜いたつもりはない。
自分でも気が付いていない、一体何が...。ただ、ここ最近忙しい。
何となくやるべき仕事が手に付かず、『季刊誌 ZERO』のバックナンバーを手に取った。

気が付いた気がした。すこしづつ軌道がずれてしまったのだ。
自分の目指すものから。憧れから。

よくうちのスタッフにも注意している。
始めのうちは言われた通りに出来ているのに、少しずつ変わっていく。
雑になるというか、見えていたところが減るというか。
人の上に立ち教える立場の人間は、指摘されることが少ない分、
意識して理想を追い求める必要がある。
日々の仕事に追われ、見えなくなっていたということか。
今回のことは、それを気付かさせてくれた。 厳しい言葉と共に。

一日あれば、頭を冷やすには十分だった。

ここで気付けたことも今の私に必要だったのだろう。
そして、たまたま目の前にあったZERO。
この週末、ラボにあるバックナンバーをすべて読み返してみよう。