アメリカ生活も長くなると、帰国を決めた人を見送ることはよくある。
その存在が近ければ近い程、心に大きな穴が空く。
見送る側にとっては、その瞬間からまたいつもの日常に引き戻されるわけだが、
そこにいたはずの人がいない。
見送られる側は、その瞬間からただの思い出に変わるのだろうか。
新しい環境に慣れることに必死で、寂しい思いすら感じないかもしれない。
今までどれだけの人を見送ってきただろう。
悲しいことに、その寂しさにもだいぶ慣れてしまった。
昔話を語り合える仲間も減った。自分の送別会などもう想像も付かない。
また一人、ロサンゼルスを去る。
年下のくせに私のことを“君”付けで呼ぶ、そんな失礼な彼との付き合いは長い。
いい思い出ばかりではないが、 ロサンゼルスで出会い、同じ時期を過ごした仲間。
人懐っこさやなんだか憎めないそのキャラは、私が持ち合わせていない部分。
羨ましくも思え、会う度に考えさせられる。
熱く夢を語り合ったり、くだらない話で盛り上がったり。
今でこそ、毎晩のように飲みに繰り出し、朝方まで騒いだりはしなくなったが。
そんな二十代の頃がついこのあいだのように思える。
お疲れさま。また飲もう。