2010/03/02

職人

身につけた技術によって物を作り出す仕事をする人を職人という。

たとえば寿司職人と聞いて、
機械で握られた舎利の上にネタを乗せるだけの人を思い描く人は少ないだろう。
頑固なオヤジ、新鮮なネタ、衛生的な板場、でっかい湯呑み。
照明や細かな装飾にもこだわりを感じる店内。
そして握られた寿司を口にした時、至福の喜び与えてくれるのが彼ら寿司職人。
私の中ではそんなイメージだ。

ただこれはあくまでも私のイメージで、寿司職人は沢山いる。
ここアメリカでは1年も経験を積めば寿司シェフとして勤める事ができたりする。
だからいろんな国の人が寿司シェフとして働いている。
日本で通用するかは別として...。

私の中では、どこでも通用するから職人なのだと思っている。

身につけた技術がその地域の人々の求めるものによって変化し形を変えたとしても、
そこに変わる事の無いこだわりや技が生きる。

美味しい舎利を握ることが難しい事ぐらい日本人なら誰でも容易に想像ができる。
その舎利を握れるだけでは自分の店を持つことはできないし、寿司職人ではない。
上に乗せるネタとのバランスを知り尽くしての舎利で、
美味しい舎利だけでは寿司としての価値を与えた事にはならない。
たとえばネタにマグロを選び、仕込みを覚え、美味しい舎利を握る。
マグロを吟味し舎利とのバランスを知り尽くすことができたなら、
たとえ一品でも寿司職人に違いない。
そしてその一品は人々に感動を与える事ができるかも知れない。


歯科技工士もまた、間違いなく職人だ。

私は歯科技工士であって、寿司職人ではない。
だからあくまで同じ職人としての想像の域を超える事は出来ないのだが、
歯科技工士も同じような事が言える。

たとえば模型が作れるだけでは歯科技工士ではない。
歯科技工士は患者さんのために歯を作る仕事。
どのような症例で、どのような作業を伴うのか理解し模型を作り、
その模型上でクラウンや入れ歯などを作る。
模型しか作れない、自分の手掛けている工程しか分からない...

それは職人ではなく、作業員である。

それぞれの工程で必要な技術と知識を身につけ理解していなければ、
理想的な模型も患者さんに喜んでもらえるような技工物も作る事は出来ない。

本物を知る事ができるのはそれに精通し続けた職人自ら。
機械化に伴って生産性が上がり、求められる精度がより優れてきたとしても、
職人の手から作り出される物はより本物に近いに違いない。

そしてそれが職人である者の誇りだ。